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ETV  「裁かれなかった毒ガス作戦」 を観て…その1 [日本史]

以前、中国のとある鍾乳洞に現地の友人と入ったことがある。入り口から出口までは歩いて30分かかる大きめな鍾乳洞で、入り口は3階建ての家がすっぽり入るくらい大きく、出口は人が一人通るくらいの狭い出口だった。

ひと通り鍾乳洞を見学して出てくると、友人が一言、

「何も感じなかった?」

と訊いてくる。何にも、と答えると、

「ここで800人近くの人が殺された」

ですと!

「誰がやったんだ?」

「おたくの国の軍が…」

(汗)なんで最初に教えてくれなかったの?と問い詰めると、「先に言うと怖がって入らなかったかもしれないから」ですと。たしかに…。

この鍾乳洞のある山上へ登ってみると、はたして、その亡くなった兵士たちの墓があり、墓石には「毒ガス攻撃で中にいた800人余りの兵士が死亡」と彫ってあった。生き残った人は一人もいないということ。じゃ、なんで毒ガスを使ったってわかるんだろう?

帰国後、この作戦に参加していた元将校の書いた本を見つけ、この件について調べてみる。すると、毒ガスのドの字もなく、火炎放射器で攻撃、とのみ書いてあった。

当時血気盛んだった私はその元将校に取材を試みるが、電話のみOKということで、電話取材になった。

本の内容や現在の現地の様子など、なごやかに話を進めていき、最後に核心の毒ガス使用についてなにげに訊いてみると、今まで懐かしそうに話をしていた彼が、急に黙ってしまった。そして、

「本に書いてある通りです。それ以外何もありません」

小さな声で言うと、急に咳き込んでしまった。

つまり、彼は自分たちは当時国際法で禁止されていた「毒ガス」を使用せず、「火炎放射器」を使用したと主張している…。小さな声で…。

再度、その鍾乳洞のある街へ行く機会があり、現地の友人の高校の先生にこの作戦のことについて訊いてみる。生存者ゼロということだけど、現場や死体の状況をみる限り、毒ガス使用は間違いないだろう、ということだった。

この手の戦争の取材は、被害者側、加害者側と双方の取材が必要となるので、心身ともひどく疲れる。そして、双方の古傷をえぐることにもなる。それに、毒ガスを使ったかどうか確認したとしても、死んだ人が帰ってくるわけでもないし、私はもうこれ以上この件を調べるのを放棄、ずっと心の底にしまっていた。

そして、昨日NHKで「裁かれなかった毒ガス作戦」という番組を観て、このことを思い出してしまったわけで…。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html

つづく…


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