SSブログ

「愛新覚羅」を捨てた書家 [雑記]

中国書家で一番好きな字は、啓功先生の字です。

qi01.JPG赤壁賦より

先生の流れるような書、こんな風に書けたら、とずっと憧れていました。
中国の著名な建物の看板に先生の字がよく使われているので、目にした方も多いかもしれません。

書家の他にも画家、詩人、古典文学研究家(特に紅楼夢は有名)、古物鑑定、大学教授、中国書家協会名誉主席、仏教協会顧問、故宮博物館顧問、などなどたくさんの肩書きを持っていました。

元の姓は愛新覚羅、そう、
清エンペラー一族の一人なんですが、
その姓を捨てた人です。

先生の九代前は雍正帝です。八代前は乾隆帝の弟になります。(ということはあの小康煕帝は十代前かあ…)

北京にいた時にお話をしたことがあります。
落花生が大好物で、お店で買った落花生を食べながら歩いている姿をよくお見かけしました。

その姿はペンギンがチョコチョコ歩いているようで、とても微笑ましかったです。
私のつたない北京語を根気良く聞いてくださって、本当に優しい先生でした。国宝級のお方なのにまったく気取ったところがなく、まさに好々爺という言葉がピッタリ。

1221_271670.jpg

そんないつもにこにこな温厚なお爺様、啓功先生は、なぜ「愛新覚羅」と決別したのか?

文革でひどい目にあったので、捨てたという風にまわりから聞いていましたが、その当時はすでに「愛新覚羅」はブランド名としてむしろ利用価値があるくらいでした(実際そうしている方々も多かった)ので、なんで戻さないんだろう?と思ってました。

あとで知ったのですが、この件について、先生の心の奥底には計り知れない闇があったようです。「政治的に利用されたくないから」、「愛新覚羅という姓は元々存在していないから(ヌルハっつぁんが勝手につけた?)」となど諸説あるようですが…。

ちなみに啓功先生が愛してやまなかった書画家は、明末清初に活躍した破山禅師、抗清の禅師です。清皇帝子孫の先生が、抗清禅師をリスペクトしているというのもおもしろいですね。そういえば、先生の書は、禅師の字の雰囲気に似ています…。

啓功先生は05年に93歳でお亡くなりになりました。最期まで、「愛新覚羅」を戻すことはありませんでした。

先生のお葬式 は盛大に行われたそうです。

お葬式で思い出したのが、「寿」という字です。なぜかといいますと、以前啓功先生のお弟子さん(中文系教授)が、うちの母のために字を書いてくださるというので、母の好きな字か言葉をということだったので、「寿」という一文字をお願いしたら、なんか躊躇なさったんですよね。

「寿」はおめでたい字です、日本でも中国でも。但し、中国では白い紙に黒字で書くと葬式用になるんです…。それでためらったんです。

すべてのお葬式にではなく、90歳以上で亡くなった場合「寿」という字を使います。長生きして亡くなる、これはおめでたいことなんです。

なので、「寿」という文字を93歳で旅立たれた先生にお送りしたいと思います。

 


nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 8

重剣

凄いですね。
姉さん、長生きしすぎですよ~
満州とか、普通に居たことありそうな感じがします。
中国ドラマの英雄の人たちと、同じ時代生きてそうですね。
と言うことは、何百歳?

by 重剣 (2009-02-26 21:42) 

阿銀

剣弟、
何百歳どころか、始皇帝の○おろししたのはあっしですから(爆)
って、何を言わせるんじゃ!
まだ24年しか生きてないおなごに…。
by 阿銀 (2009-02-26 22:15) 

Mario

横突っ込みすいません
>何百歳どころか、始皇帝の○おろししたのはあっしですから(爆)
というと、チェンカイコーによれば、阿銀さんは「コンリー」姐さん?

今回色々調べていたら、日本にこんな博物館があって、そこにこの方の作品もあるようです。
http://www.pressnet.co.jp/aixin/Japanese/home.htm
http://www.pressnet.co.jp/aixin/Japanese/Sakusya/A.Qigong.htm
http://www.pressnet.co.jp/aixin/Japanese/Syuzo/No0980.htm

by Mario (2009-03-01 07:56) 

アンディP・弟

啓功先生。
いかにも大陸的、たいじん 【大人】の風格を漂わせるお方だったようですな。ほんとは武功も凄っかたりして。
作詞の秋元康さんを程よくエイジングすると似てるのかも。
「書」のことはよくわかりませぬが、画数の多い字は細い線で描くなど
理に適った技法を用いられていたのでは?

閑話休題。
映画「レッドクリフPartⅡ」の公開が4/10に決まりました。

http://redcliff.jp/part2/index.html

あ~、待ち遠しい。
おっとその前に、「PartⅠ」のDVD発売か。

このところずっと、「三国志」三昧の日々が続いとります。
吉川三国志は読了し、現在は北方三国志を。
こちらはオリジナルキャラ多数登場など、作家北方謙三氏の
創作物としての色合いが濃い作品となっとります。
とにかくハードボイルド、全員「ゴルゴ13」みたいです。
呂布に惚れ込んだようで、ずいぶんカッコよく書いてますな。

話飛びますが、吉川英治先生の「親鸞」は傑作です。泣けました。

by アンディP・弟 (2009-03-01 19:13) 

十四夫人

阿銀姐さま

啓功先生のお人と、「白地に寿」に関する習慣を興味深く拝読。

その習慣とは関係ないのですが、過日、禅寺の展覧会にて観た白隠の墨蹟「寿字円頓章」を思い出しました。
「寿字円頓章」は、大きな横長の紙面の真ん中に「壽」の文字、そしてそのまわりを「円頓章」の経文で飾った大作。
(これは衆生の幸福を願うのだとか)
その作品を描いたのは死の一年前だそうです。

(やはり百聞は一見に如かず、と画像を探してみましたが、上手く貼れないかも・・作品をご存じだと良いのですが・・
一応お断りしてコピーしました。お手隙の折にでも手入力してご覧下さいませ)
   ↓
http://mblog.excite.co.jp/img/?f=200901%2F20%2F04%2Fb0044404_7551431.jpg&user=cardiac

私自身はあまり白隠の墨蹟(=というかこのタイプの墨蹟)は好きではないのですが、彼の書は人気がありますよね。


by 十四夫人 (2009-03-02 02:58) 

阿銀

Marioさん、
>というと、チェンカイコーによれば、阿銀さんは「コンリー」姐さん?

バレました?ウッハッハハ(爆)

>今回色々調べていたら、日本にこんな博物館があって、そこにこの方の作品もあるようです。

90年の作品ですか、目の保養をさせてもらいました~。
中国では愛新覚羅系の書の贋物がすんごい出ていて、大変なようです。友人もニセモノつかまれそうになったし(苦笑)
by 阿銀 (2009-03-02 13:46) 

阿銀

アンディP・弟さん、

>いかにも大陸的、たいじん 【大人】の風格を漂わせるお方だったようですな。ほんとは武功も凄っかたりして。

ど、どうでしょう?(笑)
武功がすごいと印象はなかったですが、若い頃は意外とブイブイ言わせていたのかもしれませんね。

>作詞の秋元康さんを程よくエイジングすると似てるのかも。

おお~、ほんとだ~(笑)

>「書」のことはよくわかりませぬが、画数の多い字は細い線で描くなど
理に適った技法を用いられていたのでは?

なるほど、太い細いが混在した珍しい書法ですからねえ

>映画「レッドクリフPartⅡ」の公開が4/10に決まりました。

やっとですね。例の小喬おしりくっきりシーンが出るといいな~。

>とにかくハードボイルド、全員「ゴルゴ13」みたいです。

なんか想像できる~、ご本人がそんな雰囲気ですもんね。

>呂布に惚れ込んだようで、ずいぶんカッコよく書いてますな。

三国志を読み始めた頃、実は呂布をかっちょいい~って思っていたのですよ、今考えるとちと恥ずかしい…。

>話飛びますが、吉川英治先生の「親鸞」は傑作です。泣けました

そうなんですか、親鸞は詳しくないので、いつか読んでみたいですね~。
by 阿銀 (2009-03-02 13:58) 

阿銀

十四夫人~、
>「寿字円頓章」は、大きな横長の紙面の真ん中に「壽」の文字、そしてそのまわりを「円頓章」の経文で飾った大作。
(これは衆生の幸福を願うのだとか)

貼っていただいてありがとうございます。
なんかとても力強い書ですね~。生命力あふれるというか。

>その作品を描いたのは死の一年前だそうです。

死期を予想していたのでしょうか…。

>私自身はあまり白隠の墨蹟(=というかこのタイプの墨蹟)は好きではないのですが、彼の書は人気がありますよね。

けっこう個性的ですよね。

白隠というと、「軟酥(なんそ)法」を思い出しました。彼自身が考えたものではなく、仙人に教わった法だそうですが、彼はそれで心の病を治したそうですね。


by 阿銀 (2009-03-02 14:07) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。