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梁羽生の故郷 [大唐游侠伝]

梁羽生原作の「大唐游侠伝」も来週で最終回を迎えますね。
そして、本日1月22日は梁羽生先生の命日です。

梁先生の故郷は、広西省蒙山県。
隣県との県境まで以前行ったことがあります。
ya01.JPG
隣県の尼寺からの眺め。めっちゃ風光明媚なところです(写真をスキャンしたので、
画質が悪いですが…)

山々の向こうが蒙山県になります。

梁羽生、本名陳文統は1924年生まれ。
彼はこの美しい故郷に対してつらい、複雑な思いがあります。

梁羽生の父は、村の教師だったので、彼の家は知識人の家庭でした。
その影響か、羽生は幼い頃から武侠小説を読みまくっていたそうです。

日本軍が侵攻してきた時、父親は自警団を結成し、必死に抵抗。
そして、香港や広東から逃げてきた文化人たち(太平天国の乱歴史家、簡又文、敦煌学の権威であり、書家、画家でもある饒宗頤など)を保護。
そんな環境の中、羽生は文学、美術などたくさんの知識を身につけていったようです。

本当の悲劇は日本軍撤退後、そして国民党軍が台湾に逃げてからは始まりました。
土地改革などで、沸きかえっていた当時の中国では知識人や地主などが血祭りにあげられ、
羽生の父もその犠牲になりました。

誰かにはめられ、投獄されたのです。

当時、嶺南大学の学生だった羽生は、家に帰る途中、
隣県(上記写真を写したあたり)で現地から逃げてきた友人に逢い、
父親が捕まったこと、そしてこのまま戻ったら殺される、と告げられ、
一緒に香港に徒歩で逃亡したのです。

もし、血の気の多い連中に捕まったら、どんな目に遭うかわからない状態でした。
その後、羽生の父は殺されました。

そういえば、地主一家だった金庸も似たような運命をたどっていましたね。

反革命分子の家の出ということで、長い間故郷に帰ることができなかった羽生。
父を殺された怨み、故郷に戻れない嘆きが、武侠小説の傑作を生むエネルギーになったのでしょうか…。

「七剣下天山」冒頭の一節
把剣凄然望、無処招帰舟

悲しみ深く剣を眺め、帰る舟はどこにもなし…

1956年に書かれた「七剣下天山」
父親を殺され、故郷を追われてからまだ6年しか経っていない頃の
梁羽生の心境がここに表れているような気がします。

改革開放が始まった80年代、蒙山県政府は、羽生を招聘。
しかし、羽生は、
「父親の名誉回復がない限り、一切帰るつもりはない」と拒否。
深い深い心の傷が帰郷を拒否したのでしょう。

その後、県政府は羽生の父、陳信玉の名誉を回復。
1987年、羽生は逃亡以来はじめて故郷の土を踏みます。
1950年に故郷を離れてからすでに37年の歳月が経っていました。

それ以後、羽生は故郷の教育のために多額の寄付をしたり、
重病をおして式典に出席したりと活動していたようです。
(現在、蒙山県には「梁羽生文学記念館」があります)

一年前の今日、移住先のオーストラリアで天に召された梁羽生。
どんなつらいことがあったとしても、幼い頃遊んだ故郷の山河を思い出しながら、
息を引き取ったのではないか、と勝手に想像しています。


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コメント 18

宣和堂

ゴメン…今まで銀銀と梁羽生のこと見くびってた!おもろかったよーん!
by 宣和堂 (2010-01-23 01:07) 

阿銀

宣さん、
いつもより時間をかけて、真面目モードで書いたので、
そういっていただけると嬉しいどす~♪


by 阿銀 (2010-01-23 18:28) 

tasuchan

梁羽生さんも奥が深かったのですね。
いや~勉強になりました。

真面目モードで文章だったので何処で阿銀モードになるかと思って最後まで読んでしまった。

いや~梁羽生さんも奥が深かったのですね。
すっごく勉強になりました。

by tasuchan (2010-01-24 20:55) 

一粟

阿银姐:
新年快乐!祝您在新的一年里万事如意,幸福安康,心想事成~~~
因工作上的原因,我很久没来了,望姐姐不要见怪...

说到梁羽生,虽说他的成就不如金庸,但是严格说来,他才是新派武侠小说的开山鼻祖,如果没有梁羽生在前面建桥铺路,很可能就没有如今的金庸武侠了...

by 一粟 (2010-01-24 21:47) 

おぢゃ

阿銀さんの知識と普段のコメントとのギャップに(ゴメンナサイ)驚くと共に、やはり中国の人たちには、あの革命の影響が大きく残されているという事に久々に感じました。
映画等で時々感じるのですが、なかなか深く理解することはできないのです。日本人である私は・・・・でもなぜか心にいつまでもひっかかる・・・という感じかな。

それにしても中国全土色々なところに行かれてますね。
ほんとうらやましいです。この景色も最高!!またまた妄想の種になりそうです。
(私の妄想壁をよびおこした射鵰の放送間近にして、心の中ではアノOPがなり響いている おぢゃでした)

by おぢゃ (2010-01-25 11:44) 

迷子

そうか、もう一年になるんですね。
游剣江湖を追悼鑑賞してたんでした。

映画で見た成龍の両親の経歴にしても、このころの時代を生き抜いてきた人たちの経験や思いには、ひとかたならぬものがありますね。

昔、よく日本で出てた文革礼賛みたいな本とかをかいてた人たち、今どうしてるんでしょうねえ・・・
時のうつりかわりについていけてるんだろうか、と心配になったりします。

by 迷子 (2010-01-25 21:24) 

阿銀

たす兄、
>真面目モードで文章だったので何処で阿銀モードになるかと>思って最後まで読んでしまった。

最初の何行かは阿銀モードで書いていたんですが、書いていくうちにそのモードを続けられなくなり、最初のも手直ししました(爆)

>いや~梁羽生さんも奥が深かったのですね。
>すっごく勉強になりました

ありがとございます^^
by 阿銀 (2010-01-25 23:12) 

阿銀

一粟弟、

新年快楽!
万事如意~~~

由于受梁羽生的影响,金庸才开始写武侠小说。
他们同岁,也一样的遭遇,感到他们很有缘分…
by 阿銀 (2010-01-25 23:18) 

阿銀

おぢゃさん、
>阿銀さんの知識と普段のコメントとのギャップに(ゴメンナサイ)驚くと共に、

ブホホホ、調子狂いまして?

>映画等で時々感じるのですが、なかなか深く理解することはできないのです。日本人である私は・・・・でもなぜか心にい>つまでもひっかかる・・・という感じかな。

そうそう、私もそんな感じです。
たくさんの人にそして現地でもう嫌になるくらい話を聞いたんですが、なかなかピンとこないもんがあります。
あの時代はかなり特殊なんでしょうねえ…。

>それにしても中国全土色々なところに行かれてますね。

いえいえ、それほどでもないんですよ。
けっこう偏ってます(笑)

>この景色も最高!!またまた妄想の種になりそうです。

二人の尼さんのいるお寺からの眺めなんです。
おみくじもしましたよ~。
素敵な御仁とのデート妄想にお使いください。

>(私の妄想壁をよびおこした射鵰の放送間近にして、心の中ではアノOPがなり響いている おぢゃでした)

おお~、いよいよ始まりますねえ。
王処一にメロメロになったあのドラマが(爆)
秦将軍で目慣らしして、今度は本番ですね。

by 阿銀 (2010-01-25 23:24) 

阿銀

迷子さん、

>そうか、もう一年になるんですね。
>游剣江湖を追悼鑑賞してたんでした。

追悼鑑賞…なんかイイ言葉ですな~

>映画で見た成龍の両親の経歴にしても、このころの時代を生き抜いてきた人たちの経験や思いには、ひとかたならぬものがありますね。

香港に逃げた人たちの苦労話はなかなかのものがありますね。
あのアグネス・チャン一家も色々あったそうだし…

>昔、よく日本で出てた文革礼賛みたいな本とかをかいてた人たち、今どうしてるんでしょうねえ・・・

そげな本が!書いたのは日本人ですか?

>時のうつりかわりについていけてるんだろうか、と心配になったりします

元紅衛兵が知人にいますが、子供を海外留学させたり、
儲け話に目がなかったりと金満主義になっております、
ご多聞にもれず…(爆)
by 阿銀 (2010-01-25 23:33) 

おぢゃ

質問がいっこあります。
>香港や広東から逃げてきた文化人たち(太平天国の乱歴史家、簡又文、敦煌学の権威であり、書家、画家でもある饶宗颐など)を保護。

じょう・そうい・・・さんと読みますか?
by おぢゃ (2010-01-26 11:05) 

阿銀

おぢゃさん、
お、そこだけ簡体でしたか、すまんです。
そうです、饒宗頤(じょう・そうい)です。

こちらに詳しく載ってます☆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%92%E5%AE%97%E9%A0%A4
by 阿銀 (2010-01-26 13:33) 

遠志

銀師伯 こんばんわ

やっぱり、あれだけの小説を書くエネルギーは
若き日の体験が基になっていたんですね。

頭で理解しても、体感の恐怖や怒りまでは想像できないですね。

>沸きかえっていた当時の中国では知識人や地主などが血祭りにあげられ

中国はこの後も文革やら何度かありましたよね、このような事が。

そう言えば、孔子は朝鮮人だったって話で、
直系子孫75代目の孔健氏が感想を聞かれて苦笑いしつつも
「韓国人はそれだけ孔子の事を大切に思ってくれている」
「逆に中国は文革で孔子を否定したり・・・」と言われた事を何かで読んだ事を思い出しました。
by 遠志 (2010-01-31 01:08) 

阿銀

志児、

>やっぱり、あれだけの小説を書くエネルギーは
>若き日の体験が基になっていたんですね。
>頭で理解しても、体感の恐怖や怒りまでは想像できないですね。

そうよねえ。戦後ののほほ~んとしたぬるま湯に浸かってきた私たちには想像つかないことですよね。

>中国はこの後も文革やら何度かありましたよね、このような事が。

そうですね。
文革は地主、知識人だけでなく、革命の中心である貧農層の中でも密告やらなんやらで、みんな疑心暗鬼になってたようですよ。

>「逆に中国は文革で孔子を否定したり・・・」と言われた事を何かで読んだ事を思い出しました。

その通りだよね。
孔子はどんなけいぢめられたか!まさに焚書坑儒…。
今ではめっちゃ持ち上げてるけどね…(汗)

by 阿銀 (2010-01-31 17:17) 

Mario

尼寺に何しに行ったんですか?なんて、突っ込もうと思いましたが・・・、
拝読させていただきました。

 いかにも広西というカルストの山ですね。 地図で視ましたが、太平天国の発祥地にも近く、民族的にも境界線ですね。
 映画・ドラマしか視てませんが、梁羽生原作が、正邪善悪恩仇のメリハリを強く感じる、こういった人生経験によるものなのでしょうか。
 一方金庸は、正邪善悪は相対的で裏表、渡る世間の本音合戦みたいなところがあります。
 やっぱり、真の作家の作品にはその人生が浮き出てきますね。
by Mario (2010-01-31 21:42) 

阿銀

Marioさん、
尼寺へ修行に行ったんですが、あちら方面の煩悩が多すぎるということで断られました(爆)なんてね。
二人の尼さんがおりましたが、一人は美人でした(50代くらい)

そうなんです、あの辺はカルストぼこぼこ地帯です。
民族もいろんなのが入り乱れております(笑)

>梁羽生原作が、正邪善悪恩仇のメリハリを強く感じる、こういった人生経験によるものなのでしょうか。
> 一方金庸は、正邪善悪は相対的で裏表、渡る世間の本音合戦みたいなところがあります。

なるほど~、そうですねー!

by 阿銀 (2010-02-01 18:51) 

小旻

なぜ彼の作品の最後は後味が・・・苦いと言うか・・・
何かつらいのはやっぱり訳があったのよね・・・

だから私文革大嫌い・・・失った物が多すぎる・・・


>孔子は朝鮮人だったって話
遠志師侄・・・あんまり敏感な話は触れない方がいいわよ


by 小旻 (2010-02-05 17:41) 

阿銀

旻妹、
文革はほんっとひどい時代だったよね…。
友人の家族もけっこうやられてるし、
もう思い出したくないみたい~。


by 阿銀 (2010-02-05 18:44) 

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