連城訣の時代背景がよくわからん… [連城訣]
最初ドラマを観て、この時代はいったいいつ?と考えたけど、結局わからず。
話の中に「梁山伯と祝英台」が出てきたり、宋の皇帝の玉観音が登場したので、「明」あたりが妥当かな~と。服装もそんな感じだし。
と思っていたら、本の挿絵は思いっきり弁髪な「清朝」…(汗)
ドラマと本とどっちが正解なの~~??
で、調べてみましたら、「連城訣」は特別時代背景はない、のだそうで…あらら。
金庸先生は長編12作、中篇2作、短編一作を書いてますが、時代順に並べますと、
春秋時代「越女剣」
北宋末 「天龍八部」
南宋~元 「射雕英雄伝」「神雕侠侶 」「 倚天屠龍記」(射雕三部作)
明末 「碧血剣」
清 「鹿鼎記」 「書剣恩仇録」「雪山飛狐」「飛狐外伝」「鴛鴦刀」
「笑傲江湖」は明、「白馬嘯西風」は清あたりかな~?らしく、「連城訣」「侠客行」にいたっては、ご自由に~ってとこらしい(爆)
なので、「連訣城」は明あたりにしておこう~(勝手な…)
見れば見るほどいけすかない、萬圭(じゃあ、載せるなよ~)
2007-06-26 00:06
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コメント(13)
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原作読んだときは、主人公のモデルが清の時代だったから、作品も清なのかな~と漠然と思っておりました^^;
清と明だと、辮髪とか服装がまるっきり違うから、イメージも異なっちゃいますよね。笑傲江湖が清代だったら、辮髪な令狐中…?や、やだ(ーー )Ξ( ーー) ブルンブルン
by ゆうり (2007-06-26 00:38)
本の挿絵は思いっきり弁髪な「清朝」…(汗)>>
私が読んだ時もこの絵でしたが・・・・自由でしたか^^
まあTVB版ドラマも時代分からない衣装だったですし(でも明かな・・・・)
自由でいきましょう
by 小旻 (2007-06-26 11:21)
原作で丁典と凌霜華が出会う菊花祭の時の挿絵も
丁典は弁髪姿でした。それも小太りな(笑)
ドラマとのイメージがあまりにも違いますね(笑)
by D (2007-06-26 11:46)
ゆうり女王、
そうなのよ~、弁髪ってば、なんか見ている者の腰がくだけてしまうような不思議な魔力があるのよねえ。
最初から弁髪ならいいんだけど、途中からだと受け付けられまへんって~。
ま、修さまの弁髪なら萌え萌えでございましょ?
by 阿銀 (2007-06-26 13:30)
旻妹、
TVB版もはっきりしなかったんですね、時代背景。
歴史が関わってないってことになるから、自由なんでしょうねえ。
ドラマは弁髪じゃなくてよかったー(爆)
by 阿銀 (2007-06-26 13:33)
D姐、
>丁典は弁髪姿でした。それも小太りな(笑)
ぎゃー、やめて~(爆)小太りな弁髪って…。
そういえば、狄雲と萬圭の喧嘩シーン(笑)の挿絵もなんかヘンだなあ~と思った記憶が…。
by 阿銀 (2007-06-26 13:35)
銀銀聖姑、
過去スレへ出張しますね。
・時代背景
「連城訣」は、凌退思絡みで、荊州周辺の行政区分を表す言葉を追うと、
清の行政下のものではないようです。なので、明が自然だと思います。
もう一つは、清代に入ると、チベットは、チベット仏教にも色々派があって、
最も新しい、現在最大宗派のゲルク派が、15Cに興っています。
明が、清に北京を陥される1644年には、ダライラマ5世の時代で、翌年から
有名なポタラ宮の建設が始まる全盛期を迎えます。この為、如何に老祖と
雖も、中原へ出張する余裕はないでしょう。
その後は、内部の権力争い等で清朝を招き入れてしまいます。
以上の理由から、清朝に設定するのは無理かも。
ちなみに、唐辛子が出てくるので、明以降となります。スペイン人による、
南米大陸からの持込みですから。
これが、湖南の田舎で畑作されているということは、明の滅亡時期に近い
でしょうね。
そちらから考えますと、清も無理がなかったりします。
「侠客行」は、明以降というところまでで精一杯です。
by 左使 (2008-01-15 19:13)
万里左使、
>以上の理由から、清朝に設定するのは無理かも。
ひぃいー、チベットのことまでこれほど詳しいとは。
中国&周辺諸国の歴史すべてに精通してるんですね。
>唐辛子が出てくるので、明以降となります。スペイン人による、
南米大陸からの持込みですから。
唐辛子のことまで!?すごい。
唐辛子は今世界一の生産国ではないですかねえ~、中国は。
by 阿銀 (2008-01-15 23:43)
・唐詩選
もう一つ根拠となるものがありました。
唐詩選、実は、明の後期に、李攀竜という人が編んだと言われています。
諸説があって、唐詩選を売りたかった本屋が、李攀竜の名前を勝手に
使ったという説もあるのですが、李攀竜の名前を使う以上、彼と同時期に
出されたということになります。
つまり、1560年ころですね。丁度唐辛子が入ってきたのと同じ頃です。
ここから、梅念笙が唐詩選を連城剣譜として、それを戚長発ら三人の
不肖の弟子達が強奪・師殺し、以下、
→梅念笙は今際の際に丁典に連城訣と神照経を伝授
→丁典、江湖で追われる立場に、西域へ
→丁典、荊州へ戻り、凌霜華と初対面
→丁典、重傷を負う、凌霜華、江陵へ
→丁典、江陵で凌霜華と再会、後、凌退思に囚われる
→狄雲、捕らえられる(牢の中で7年でしたっけ?)
→脱獄、丁典死、狄雲逃亡
→狄雲、血刀老祖と共に大雪山山脈へ、雪山決戦、血刀老祖死亡
→狄雲と水笙、大雪山にて越冬
…最後のシーンに至る迄に、30年ほどの年月は経っています。
ここで注目。
小説の中で、丁典が西域に逃れた際に、この地域のことを、“塞外”と
表現しています。
この前後の時期、中国が西域を支配していなかったのは、明代(実質的
には殆ど)~清代の初期だけです。
清代の初期に何故支配していなかったかというと、南方には、まだ明朝の
王族が、抵抗を続けていた為です。1662年だったかな、まで続きますね。
そして、1663年には呉三桂が謀反、三藩の乱が起こります。これは、
8年間続きます。
三藩の支配地は、呉三桂の雲南・貴州や両広等、今の中国南部です。
ですので、この時期に、見るからに武芸者が数百人と、うら若き乙女を
連れた坊主2人が、悠長に荊州辺りから四川と西蔵の国境近くまで、
逃避行を続けるなど…、先ず不可能でしょう(苦笑)。
良くて不審尋問→新疆送り(兵卒兼肉体労働者として最前線です、当然)、
下手をすれば、その場で即、殺されるでしょう。
明代は、1631年には、李自成が反乱を起こします。四川は、張献忠の
支配の頃に至っては、有名な「蜀碧」状態です。
この時期も、逃避行なんて、とても無理でしょうね(苦笑)。
ですので、1500年代末~1620年頃までの間と考えるのが、最も無理が
ないと思われます。
・唐辛子
辛口唐辛子の生産量は、インドが世界一のようですね。
ただ、正確に把握できないようです。特に中国。
庭で簡単に育てて、必要に応じて、もいで使っていますしね。
中国の生産量は、インドに匹敵するだろうというのが、一般的な見方の
ようです。
下記サイトを参考にしてみて下さい。
http://www.botanical.jp/libraries/ou/200606/17-0029/
中国にいらした聖姑は、辛いピーマンがあるのはご存知ですよね。
甘口唐辛子として分類されるようです。
日本人等のお母さんが、間違えて子供のおかずに食べさせたら、大変!
(苦笑)
by 左使 (2008-01-16 09:29)
・三藩の乱
下記、記入間違いです。
始まったのは、“1673年”でした。
8年後の、1681年に終わっています。
その2年後に、鄭氏台湾が降伏していますね。鹿鼎記に出てくるところですが。
by 左使 (2008-01-16 09:53)
万里左使、
>…最後のシーンに至る迄に、30年ほどの年月は経っています。
へええ、あのストーリーって30年間のストーリーだったんだあ。主人公の容貌があまり変わらないからわからなった。
というか、日本では大幅にカットしたドラマを流したので短く感じたのかもしれません。丁典の逃避行もなかったような…。
>雪山決戦、血刀老祖死亡
どぅい姐が卒倒するシーンですね(爆)
>この地域のことを、“塞外”と表現しています。
そういえば、大旗英雄伝でも、“塞外”でしたね。
インドが中国よりも上とは意外でした。というか韓国より総生産量が下というのがびっくり。作付け面積なんて比べ物にならないと思うのですが(笑)
>甘口唐辛子として分類されるようです。
>日本人等のお母さんが、間違えて子供のおかずに食べさせたら、大変!
子供はピーマン嫌いが多いからだまって捨てちゃいそうですねけどね(爆)
by 阿銀 (2008-01-16 21:13)
銀銀聖姑、
>ドラマ「連城訣」
日本で放映されたものって、最初の方、原作にはない、
“梅念笙 vs 血刀老祖”
のシーン、なかったのですか?
約30年と言っても、古い部分は、原作では、丁典や言達平による回想シーン、
そこで梅念笙が不肖の弟子達に殺されて、弟子達は仲違いの後、戚長発と
万震山はそれぞれ子供を儲け、その子供達が大きくなって、狄雲も出てきて
から本編です。
ですので、本編は10年足らずですね。
物語の背景が約30年ということです。
どぅい掌門人は、
・梅念笙が不肖の弟子達に殺されるシーン
・血刀老祖が雪山で死亡するシーン
どちらがよりショックが大きかったのでしょうか?(苦笑)
>インドと唐辛子
カレーがありますから、他の香辛料も使うとは言え、唐辛子の消費量は半端
ではない筈(笑)。
それに、あそこも今では10億人だそうですから。
>中国と唐辛子
恐らく、総生産量を把握できていないだけでしょう。
韓国、中国から輸入しているくらいですからね、キムチでさえも(但し安い方)。
韓国の唐辛子の輸入量は、年々増加傾向にあるようですね。
これだけ小肥羊が急速にチェーン展開を拡大しているのに、中国国内の消費
量が少ない訳がありません(笑)。
小肥羊、広東省、特に深セン等にも多いです。
どういうことかと言うと、出稼ぎ(移住)四川人が、売り上げを支えていますので
(笑)。
その影響もあってか、近頃では、広東省の若い子達の味覚が、辛いものを
好むようになっているようです。
>ピーマン
都会育ちの小皇帝達は、食べなくなりつつあるようですねぇ(苦笑)。
ですが、田舎育ち(特に長江沿岸以南)の子達は、上京してきている10代
後半~20代の若い子達でも、黙っていても、ピーマンか唐辛子を入れて
料理を作りますよ。
ピーマンは、勿論あの辛いやつです。
特に、湖南省周辺出身者に、その傾向が顕著ですね。
by 左使 (2008-01-17 08:19)
左使、
>“梅念笙 vs 血刀老祖”
これは冒頭シーンにありました。そんな長くなかったですが。
>ですので、本編は10年足らずですね。
>物語の背景が約30年ということです。
明白了!
>どちらがよりショックが大きかったのでしょうか?(苦笑)
大姐に訊いてみてください。今彼女は計菌に侵されているので、たぶん老祖の死の方がショックではないかと(笑)
>それに、あそこも今では10億人だそうですから。
戸籍がしっかりしてないから、すでに中国を抜いている可能性がありますね。
>韓国、中国から輸入しているくらいですからね
山東あたりから大量買付けをしているようです。それに山東には韓国系の企業や料理屋が雨後のたけのこのようにできたそうです。
>どういうことかと言うと、出稼ぎ(移住)四川人が、売り上げを支えていますので(笑)。
なーるほどほど!出稼ぎ人口が一番多いのは四川でしょうね。
>広東省の若い子達の味覚が、辛いものを
好むようになっているようです。
そうですか~、広東のおっさんたちは辛いの苦手でしたねえ。隣の湖南や広西人は辛いのは好きな人は多いのに。
>特に、湖南省周辺出身者に、その傾向が顕著ですね。
あははは、そうですそうです。あの人たちは辛いのが大好きですからねえ。
by 阿銀 (2008-01-18 00:53)